古蔵の壁に残る漆喰の剥がれを幾何学として読み解く

日本の古い蔵は、白い漆喰の壁によって外界と隔てられてきた。屋根瓦の重みや地盤の揺れ、風雨との長い対話の末、塗膜は少しずつ表情を変えていく。剥がれ落ちる一かけらは単なる老朽化ではなく、歴史と環境が刻んだ痕跡でもある。美術家のKoichi Sakaoは、その剥がれ方そのものを「描くべき対象」として捉えてきた。

蔵の壁は漆喰と木板の間に微妙な緊張関係を保つ。湿度変化や地震の揺れが引き起こす亀裂は、ときに不思議な秩序を伴って表面を分割する。Sakaoはその線を破壊の痕跡ではなく、地層や細胞のように読み替え、幾何学的な構造として抽出を試みている。

漆喰が剥がれていくという現象

漆喰は消石灰を主成分とし、麻すや海藻を混ぜて塗り固めた伝統的な左官材料である。施工時にはしなやかだが、施工後は徐々に硬化し、建物の動きや水分の出入りに長くさらされると引張力と圧縮力の均衡を失う。それが細かな亀裂となり、面単位でぽろりと剥がれ落ちる。

蔵は火災や盗難から大切なものを守るための頑丈な構造物だが、壁の表面だけは時代の環境と正面から向き合っている。剥がれは時に円弧を描き、時に直線的な境界で分割される。Sakaoが現地で観察してみると、その線は自然と素材が作り上げた秩序でもあるとわかる。

剥がれの痕跡は蔵が建つ場所の微気候を物語るヒントでもある。北面と南面で剥がれ方が異なる事例もあれば、同じ壁面内でも上下で異なる層が観察されることもある。Sakaoはこうした差異こそが、その蔵が立ってきた環境を可視化するパレットだと考えている。

剥がれの形を抽出するという視点

剥がれをそのままスケッチするのではなく、なぜ幾何学として抽出するのか。そこにはSakaoが繰り返し取り組んできた「街」や「水」の記憶のプロジェクトと同じ発想がある。記憶は個人の内面に閉じたものではなく、街の壁や水路の水際に外在化されている、というのが彼の主張である。

漆喰の剥がれも同様に、目に見えない時間の蓄積を外在化したものだと言える。Sakaoはデジタル計測によって点群化し、面ごとに分類した上で、三角形や多角形、湾曲した帯のようなパターンを抽出する。自然の営みが残した線は、ときにフラクタルや結晶成長に似た性質を示す。

こうして抽出された幾何学模様は、純粋な抽象ではない。もとの蔵の構造と環境の物語を背負った、固有の座標系を持つパターンである。Sakaoはそれを抽象表現としてではなく、土地に根ざした記憶の形象として提示したいと考えている。

計測と記録のプロセス

現地で用いる基本的な手法

  • 高解像度デジタルカメラによる多角度撮影
  • レーザー距離計と測量機材による座標取得
  • 剥がれ面の輪郭線を透明フィルムに転写
  • 採取した塗膜片の保存と資料化

Sakaoが現地で行う作業は、まず蔵の壁を区画に分けて撮影することから始まる。デジタル一眼レフと測量機材を併用し、剥がれの輪郭が読み取れる複数の角度から記録する。境界線をなぞるように線を引き、面のサイズを分類する。

このプロセスは、新潟や各地で行われてきた「街」や「水」の記憶の取材方法と共通する。地道な観察と計測の繰り返しであり、一つの蔵に向き合うには数時間から丸一日を要する。だからこそ、現地で丁寧に時間を過ごすことの重要性が際立つ。

記録されたデータは最終的にドローイングやペインティング、インスタレーションへと変換される。変換の途中でSakao自身の手が加わることで、機械的な抽出には残らない揺らぎや余白が作品に宿る。

ミドリノヘヤと重なる観察の眼差し

Sakaoの取り組みの一環として行われてきた「ミドリノヘヤプロジェクト」は、使われなくなった蔵や民家を再生し、滞在制作やワークショップの場として開いてきた。剥がれの調査はそうした再生の現場から始まった。

蔵の内部に足を踏み入れると、天井の梁や床の間の木材は鮮明に残っていることが多いが、壁だけは大きく姿を変えてしまっている。漆喰は時に全面が失われ、土壁がむき出しになる。そのとき初めて見えてくるのは、剥がれの線そのものが持つ静かな秩序である。

Sakaoにとってミドリノヘヤでの活動は、単に建物を保全することではなく、剥がれという現象そのものを丁寧に拾い上げることでもある。滞在制作で描かれたスケッチや写真は、その後の幾何学抽出一連の作品へと発展していく。

街の記憶と水の記憶の系譜にあること

Sakaoの活動を語るうえで欠かすことができないのが「タウンメモリープロジェクト」と「新潟ウォーターメモリープロジェクト」である。これらは道路標識やガードレール、水道メーターボックスの番号標などを採集し、記憶の座標として再構成してきた。

古い蔵の漆喰の剥がれを抽出する行為は、これらの延長線上にある。標識やメーターボックスが都市生活の人工的な座標であるなら、剥がれの線は気候と時間の自然的な座標である。両者は対照的だが、「ある場所で何が起きてきたか」を外形化する、という同じ意志に基づいている。

新潟の蔵を調査した際には、水害の痕跡と漆喰の剥がれ方が強く関係している事例に多く出会った。水と壁が同じ場所で何十年も対話し続けた結果として残った線は、水の記憶そのものでもあるとSakaoは考えている。

剥がれを素材として扱う試み

抽出された幾何学が作品にもたらす効果

  • 時間という不可視の要素を外在化する
  • 土地固有の座標系を作品に組み込む
  • 観察の蓄積を協働の記憶へと開く

剥がれた漆喰そのものを作品に取り込むことはできないか。Sakaoは現地で剥がれかけた塗膜を丁寧に採取し、紙に押し付けて転写を試みたこともある。素材と支持体の間で起きる偶然のひび割れが、新たなレイヤーの図像を生む。

この行為は、彼が「音」「光」「香り」のような通常は素材になりにくいものを扱ってきた姿勢の延長にある。剥がれは汚損ではなく素材であり、時間は技法の代わりをしてくれる。Sakaoの作品世界では、こうした転倒が常に起きている。

蓄積された図像は、近年の平面作品やインスタレーションの中に、参照や引用として組み込まれている。壁のかけらとして持ち帰られた漆喰は、アトリエの中で別の文脈に組み込まれ、次の蔵に出会うための準備となる。

観察を共有する場としてのワークショップ

Sakaoは現地での調査とともに、観察を他者と共有するワークショップを重視してきた。参加者は現場で実際に壁に触れ、剥がれの輪郭を紙に写し取り、互いに見比べる。同じ蔵を見ていても人によって注目する線は異なるため、複数人の図像を重ね合わせることで一つの壁に複数の幾何学が浮かび上がる。

協働は作品の最終的な形を決定する前段としての役割も果たしている。Sakao自身はワークショップでの成果物を取り入れながら、自分の抽象へと歩みを進める。観察の目線が複数になることで、抽出される幾何学もまた多様性を帯びていく。

近年では小中学校や地域コミュニティと連携した出張授業も試みられている。子どもたちが初めて自分の町の蔵を意識するきっかけとなり、剥がれの線を通して土地への愛着が育まれることを、Sakaoは静かに願っている。

Sakaoの作品群の多くは、現場の記憶と協働の記憶のうえに成り立っている。古い蔵が解体される前にその壁の剥がれ方という消えゆく幾何学を記録し抽出する試みは、町の未来を考えるうえでも小さな灯火となるだろう。漆喰の剥がれの中に立ち現れる線は、これからも土地と人を結ぶ静かな座標として記録と表現のあいだを旅し続け、Sakaoの作品を通じて多くの人の目に触れていく。あなたもぜひ、身近な蔵の壁にそっと触れてみてほしい。そこには思わぬ幾何学が眠っている。