裏庭の雨樋から流れる水で水草を育む観察の手帖
自宅の裏庭に立つと、屋根の雨樋から絶え間なく水が落ちる音が聞こえる。特に梅雨の時期は、樋の先が地面を穿つほどに勢いよく水を吐き出す。その水を受け止めるように置いたのが、使われなくなった陶器の洗面器だった。
建築の周辺に集まる水や、その水が連れてくる土や落ち葉に興味があった。自然観察を制作の起点とする作家にとって、庭先で採取できる水は、都市の水循環を考えるための最初のサンプルになる。
小さな器の中で水草を育て始めてから半年が過ぎた。成長は遅く、変化は日々わずかでしかない。しかし、その緩やかな時間の蓄積が、場所や記憶について考えるための重要な素材となっている。ここでは、半年間にわたる記録の一部を紹介したい。
雨樋の水を集める仕組み
雨樋の先端には、ホームセンターで求めた簡単な分岐パーツを取り付けた。最初の一滴から泥を含んだ部分は捨て、透明になってきた中流の水だけを陶器に貯める。雨が多い日でも、器が一杯になるのに丸一日かかることはない。
採取した水はそのまま使わず、24時間ほど静置して落ち着かせる。上澄みだけを用いれば、思ったほど濁りはなく、水草の栽培には十分な透明度を持っている。時には小さな蚊の幼虫や藻の胞子が混じるが、それも観察の対象として記録している。
試した水草の種類と反応
最初に入れたのは丈夫なことで知られるホザキノフサモとアナカリスである。どちらも水質を選ばず成長するとされていたが、実際に育ててみると、葉の付き方や茎の太さに微妙な違いが現れた。雨樋の水は栄養塩が少ないためか、市販の水草用肥料を使った場合に比べて、育ちはやや緩やかである。
二ヶ月目からは、水面を漂う植物にも挑戦した。ホテイソウとアマゾンフロッグピットを浮かべてみると、根が急速に伸びて水の濁りを吸い取る様子が観察できた。特に雨樋の水彩記録で見たような、水の透明感に着目した作品群と重なり、この小さな実験の意義を改めて感じるようになった。
季節による水質と成長の違い
同じ器、同じ水草であっても、季節が移ると様子は一変する。春は新芽が展開する季節だが、気温が上がり始める梅雨時には水の透明度が落ちる。夏になると藻類の活動が活発になり、器の内側が緑に染まることもある。以下の表は、四半期ごとの観察結果をまとめたものである。微生物の動きと水草の状態は密接に関わっており、特に透明度と生物相の関係は興味深かった。
| 季節 | 雨樋水の透明度 | 主な水草の状態 | 観察できた微生物 |
|---|---|---|---|
| 春 | やや濁りあり | 新芽が展開する | ミジンコ少数 |
| 夏 | 中程度に透明 | 旺盛に繁殖 | 藻類と原生生物 |
| 秋 | 浮遊物が増える | 葉が黄変し始める | ワムシ類 |
| 冬 | 凍結気味 | 休眠に近い状態 | 活動が大きく低下 |
秋になると落ち葉が雨樋を通じて流れ込み、水質が有機物に富んだ状態へと変化する。冬は屋外での栽培が厳しく、器の水を室内に移して観察を続けた。
観察から見えてきた微生物の存在感
水草の葉の表面をルーペで覗くと、無数の微生物が暮らしていることに気づく。彼らの存在は肉眼では捉えがたいが、時間をかけて観察を続ければ、水が単なる透明な液体ではなく、小さな生態系であることが分かる。
この経験は、佐尾が関わってきた水辺の記憶を残す活動とも深く結びついている。場所の水が持つ固有の性質や、そこで育まれる生命の連鎖は、佐尾浩一の活動でも詳しく紹介されている。庭の雨樋という極めて限定的な場所でさえ、多種多様な生命が関わり合っているという事実は、制作の源泉となっている。
小さな庭から広がる水への想像力
半年間にわたる観察を通じて、最も印象的だったのは、庭という閉じた空間と外の都市環境とが、水を通じて常に接続されているという発見だった。雨樋を流れる水は、屋根を伝い、大気中の塵や微量元素を運んでくる。
このような日常の観察を、より大きな物語へとつなげる試みとして、風景画制作なども進められている。裏庭の小さな器で起こる現象は、地域全体の水循環を考えるきっかけとなり、やがて記憶や場所の問題へと広がっていく。
裏庭の雨樋から採った水で水草を育てるという実験は、特別な設備を要する研究ではなく、誰でも今日から始められる小さな行為である。水がどこから来て、どこへ行くのかを知ることは、自分を取り巻く環境を見直す第一歩となる。佐尾の他のプロジェクトやワークショップの情報については、公式サイトから辿ることができる。水草の観察記録は今も続いており、次の季節の変化を記録していく予定である。