陶片の破面に刻むやすり彫りの小さな宇宙
作家の阪尾好一(さかおこういち)が進めるプロジェクト「オタノカケラ」は、割れた陶器の破片に新たな命を吹き込む表現活動です。暮らしの中で割れてしまった湯呑みや皿、使われずに眠っていた陶片などが、作家の手元へ少しずつ集まってきます。陶片の破面にやすりを当てて模様を彫り込んでいくという、他に類を見ない静かな試みが続けられています。
阪尾は新潟を拠点に、地域の中で不要になった焼き物や、散歩の途中で拾い上げた欠片などとの出会いを大切にしています。プロジェクト名の「カケラ」は、文字どおり陶器の破片を指すと同時に、かけら同士が集まって一つの物語を紡ぐという、作家の制作姿勢を映し出したものでもあります。割れたという事実そのものを肯定的にとらえ直す眼差しが、この活動の根底に流れています。
やすりで陶を彫るという行為には、版画や木彫とは異なる独特のリズムがあります。力任せに刃を押し付けると素材が割れてしまうため、かけらの厚みや状態を見極めながら、ゆっくりと丁寧に動かします。耳を澄ませば、やすりが焼き物の表面を削るかすかな音と、粉が静かに舞う気配だけが工房に広がります。
陶片とやすりが織りなす静かな対話
陶器の破片と最初に向き合うとき、作家はまずそのかけらの形状や厚み、釉薬の色合いを観察します。割れ口には、焼成の温度や土の特徴がそのまま刻まれており、長年使い込まれてきた器であれば、しみ込んだ茶の色やしみが小さな凹凸を作り出しています。やすりで模様を彫る行為は、こうした器の履歴のうえに、もう一つの層の痕跡を書き加えていく作業と言えます。
彫られる線の太さや方向は、やすりの目の細かさや当て方によって自在に変化します。粗い目のやすりを使えば大胆な削り痕が残り、目の細かい仕上げ用やすりでは繊細で緻密な文様が浮かび上がります。削り出された素地の白や土の茶色が文様の輪郭として顔を出し、釉薬の色とのコントラストを生み出します。
作家が意識的に避けているのは、機械的で均一な仕上がりです。手作業のやすり彫りだからこそ生まれる揺らぎやズレこそ、陶片それぞれの固有性と響き合います。割れたものを補修するのではなく、破面そのものをキャンバスに見立てる逆転の発想が、このプロジェクトの核心に息づいています。
工房で繰り返す手仕事の工程
制作は、かけらの選定から始まります。新潟県内をはじめ、各地から寄せられた陶片や、作家自身が道端で見つけた欠片をテーブルに並べ、表情豊かなものを一つずつ選び取ります。大きさは親指の爪ほどのものから手のひらを超えるものまでさまざまで、かけらごとに自然と彫るべき柄が浮かび上がってくるのを待ちます。
次に、薄く安定した場所に陶片を固定し、やすりを手に取って彫り始めます。彫刻刀や鑿は使わず、やすりのみで模様を描くというのが、本プロジェクトの大きな特色です。線の向きや間隔を少しずつ変えながら、陶という硬質な素材に柔らかな陰影を刻んでいきます。
一つの作品を仕上げるまでには、数時間から数日がかかることもあります。途中で割れてしまったり、イメージしていた文様と異なる仕上がりになった場合は、また新たなかけらからやり直します。こうした繰り返しの中で、作家は素材が持つ声に耳を澄ませ、自分の手をその声に従わせるように彫り進めていきます。
やすり彫りに使われる主な道具
- 金属工作用の平やすり(粗目・中目・細目を用途によって使い分け)
- 細部に入る丸やすりや半丸やすり
- 文様の下書き用の鉛筆と練り消しゴム
- 削り粉を受ける厚手の紙や木製トレイ
作品の表面に宿る記憶と時間
完成した作品は、額に入れて壁に掛けたり、小さな台座に立てたり、あるいは桐箱に納めたりと、作家の手でさまざまに仕立てられます。いずれも、割れたかけらがもとを辿れば誰かの手元で使われていた器の一部であり、その記憶が作品の中で静かに息づいています。
例えば、お茶の世界で長く使われてきた茶碗の欠片であれば、お点前の中で染み込んだ歳月が、やすり彫りの文様と重なります。家庭の台所で日々活躍していた皿のかけらであれば、家族の食卓の風景がそこに重なります。作家は、器が経てきた時間を「記憶のかけら」として、やすり彫りという手法で可視化しようとしています。
その着想の経緯や、作家がひとつのかけらからイメージを広げていく過程については、ブログ記事陶片に向き合う制作の手ほどきの中で詳しく綴られています。断片との出会いから文様が生まれるまでの流れを知ることで、観る楽しみを広げ、ものを慈しむまなざしをより深く感じ取れるようになります。
鑑賞者は、手に取ることはできないかけらの表面をそっと目で追いながら、かつてそこにどんな器が存在したのかを想像します。割れたという事実そのものを肯定的にとらえることで、失われたものを惜しむのではなく、新しい美を見出す眼差しが生まれます。作品を通じて、ものとの向き合い方を静かに問い直される感覚を覚えるのです。
各地で広がるオタノカケラの輪
このプロジェクトは新潟市内だけでなく、各地で開催されるギャラリー展示や、市民参加型のワークショップを通じて広がりを見せています。作家自身が各地へ赴いて行うワークショップでは、参加者が持ち寄った陶片や主催者が用意したかけらを使って、やすり彫りを体験することができます。初めての人でも小さな線一本から気軽に始められるよう、内容が丁寧に組み立てられています。
これまでの活動や新作、展示の予定については、オタノカケラの最新情報で詳しく紹介されています。定期的に更新されるこちらのページでは、制作中の作品の写真やワークショップの告知、過去の展示の記録などがまとめられています。遠方で直接足を運べない人も、作品と展示のかたちを通してプロジェクトの現在地を知ることができます。
各地で催されるワークショップや展示は、地元の人びととかけらとの新しい出会いを生むと同時に、作家自身にとっても新たな発想の源泉となっています。持ち寄られる陶片一つひとつに異なる背景があり、それらと向き合うことで、やすり彫りの表現は少しずつ広がり続けています。
これまでの主な展示とワークショップの例
- 新潟市内のギャラリーでの個展「記憶のかけら」
- 市民参加型のやすり彫りワークショップ
- 近隣の美術館で開催されたグループ展への出展
- 学校での図工の時間に招かれた出張講座
鑑賞者と作り手が出会う展示のかたち
展示会場では、完成した作品を壁に掛けて眺めるだけでなく、観覧者が自分の手でやすりを実際に持って試せる体験型のコーナーが設けられることもあります。硬質な陶が目の前で少しずつ削れていく光景は、視覚的にも触感的にも印象深い体験となります。
作家は展示を「完成した作品を静観する場」というよりも、「陶片という素材を介して人と人が出会う場」として捉えています。会場で交わされる何気ない会話の中からも、次の制作のヒントが生まれることが少なくありません。割れたかけらを前にして人が集まるという、一見不思議な風景がこの活動の周囲に自然に広がっていきます。
割れたものを前にした鑑賞者自身が、自らの手で新しい線を刻むという行為は、ものを慈しむ気持ちを呼び戻すひとつの契機となります。展示は、見るだけの場所から、参加し対話する場所へと、少しずつ姿を変えてきているのです。
あなたもぜひ、次の展示やワークショップに足を運び、ご自身の目で、そしてご希望であれば手でも、陶片と向き合ってみてください。やすりが紡ぐ小さな線の集積は、きっと日常の中で忘れかけていたものを大切にする気持ちを、静かに呼び戻してくれるはずです。