海辺の記憶を纏う和紙 - 貝殻を砕いて紙に刻む
作家の酒尾晃一は、自然が長い時間をかけ生成した素材と、人の手で漉かれた和紙を対話をさせながら作品へと昇華させてきた。中でも、砂浜で見つけた貝殻を砕いて和紙に埋め込む手法は、彼の創作の核を成す表現となっている。
波の音、風の匂い、干潮のときにだけ現れる砂の模様。そうした一瞬の風景を記憶として留めたいという欲求が、この制作の出発点にある。貝殻の白と和紙の温かみは、観る者のなかに海辺の静けさを呼び起こす。
海岸で素材を集める時間
酒尾が制作に取りかかる前にまず行うのは、対象となる海辺を歩き、貝殻を拾い集める作業である。これは単なる素材の採取ではなく、土地の記憶を自身の身体で受け取る行為に近い。
海の状態はその日ごとに異なるため、同じ場所でも全く違う色や形を持つ貝が打ち上げられる。酒尾は手のひらにのせた貝の表面を丁寧に確かめ、内側の光沢や、年月が刻んだ小さな傷を観察する。ときに波に洗われたガラスの破片や、漂着した流木も拾い上げ、作品の構成要素として加えることがある。
こうした収集の段階から、すでに作品は生まれ始めている。どの貝を選び、どの色を組み合わせるかという判断は、その後の紙への埋め込み方を大きく左右する。直感と、少しの迷い。それらすべてが、最終的な表情の差異として表れる。
貝を砕くという選択
拾い集めた貝殻は、まず水洗いして塩分や砂を落とす。その後、ハンマーや乳鉢を使って細かく砕いていく。この工程は地味だが、作品の質感を決定づける重要なステップだ。
砕き方を変えることで、和紙に埋め込まれたときの表情が大きく変化する。粗く砕けば貝殻本来の輪郭が残り、海の断片としての力強さを保つ。細かく粉砕すれば、紙の繊維と混ざり合い、光の角度によって微かに煌めく優しい表面が生まれる。
酒尾は、作業中にしばしば手を止め、砕かれた貝を光に透かして眺めるという。透明感のある層が幾重にも重なり、紙と一体化したときに初めて現れる色を想像しながら、少しずつ粒度を整えていく。この地道な繰り返しが、作品に深みを与える。
和紙への埋め込み
砕いた貝殻を和紙に定着させる工程では、主に漉き込みの手法が用いられる。紙を漉く段階でパルプの中に貝の粒を混ぜ込み、漉き上がった段階で表面に凹凸と自然な立体感を残す。
和紙自体も、酒尾が信頼する紙漉き職人から仕入れたものを使う場合が多い。楮や三椏を原料とする和紙は、漉き作業にも柔軟に馴染み、貝の粒子を内部まで受け止める。漉き上がった紙は板張りして乾燥させるが、その間に貝が光を受けて様々な表情を見せる。
一枚として同じものは生まれない。原料の配合比率、漉くときの水量、貝の量と配置。それらのわずかな差異が、最終的な紙の質感を決定づける。酒尾は「紙と貝が互いに作用し合うことで、作者の意図を超えた表情が現れる瞬間がある」と語っている。
作品が語る土地の物語
こうして生み出された作品には、その土地固有の記憶が静かに宿る。たとえば新潟の海辺で集めた貝が埋め込まれた和紙は、その場所の風土と時間の層を内包する。都市部の展示空間で見ても、紙に触れたときに伝わってくるのは、潮の気配と砂の乾いた音である。
酒尾は「緑の間プロジェクト」や「タウンメモリープロジェクト」など、地域と作家、そして市民が協働するプロジェクトを通じて、土地の記憶を可視化する取り組みを続けてきた。貝殻と和紙を組み合わせた手法は、こうした活動のなかで育まれてきた表現技法でもある。
作品は、海岸そのものを切り取った小さな切片のような存在である。鑑賞者は、額の中の紙面に視線を落とすことで、知らない土地の海辺にそっと立つような感覚を覚える。それが、酒尾の作品が持つ力だ。
体験としてのワークショップ
酒尾は、自らの手仕事の魅力をより多くの人と分かち合うため、各地でワークショップを開催している。参加者自身が海辺で貝を拾い、紙に漉き込む工程を体験することで、作品が生まれる背景にある時間と手間を体感できる場となっている。
紙漉きは熟練のいる技術に思えるが、体験用の枠と道具が整えられた場では、初めての人でも十分に楽しめる。砕いた貝の粒が紙の中で光を捉える瞬間は、参加者にとって忘れられない記憶になりやすい。
開催時期や場所は変動するため、詳しい日程や申し込み方法については直近の開催案内から確認するとよい。作品制作の合間に不定期で開かれる会もあり、作家自身と直接対話する機会としても貴重である。
制作で意識している基本的な姿勢
- 素材を扱う際は、無理に形を制御しすぎず、自然が持つ力をそのまま受け入れる。
- 砕く工程では段階を踏み、粒度の異なるサンプルを事前に試す。
- 和紙との組み合わせを考えるとき、紙の色と貝の色の相性を実際に並べて確認する。
- 乾燥の速度や湿度の影響を考慮し、作品を保管する環境にも気を配る。
- 完成した作品は光の下で何度も観察し、表情の変化を記録として残す。
作品や活動について問い合わせる
酒尾の作品やワークショップ、あるいは地域と連携したプロジェクトに関心を持った場合は、直接話を聞くことが理解を深める近道である。展示の依頼や、媒体での紹介、共同制作の可能性など、用途に応じた相談を受け付けている。
問い合わせはお問い合わせページから行うことができる。海岸と紙を往来しながら制作を続ける酒尾の作品世界に、ぜひ触れてみてほしい。