庭の落ち葉と日光がつくる光と影の記録
落ち葉を地面からひとつずつ拾い上げ、紙の上に静かに並べ、真上から太陽光を当てる。カメラのレンズを一切使わない造形でも、ものの輪郭や葉脈までもが浮かび上がる。フォトグラムと呼ばれるこの技法は、光と影と対象物が出会う一瞬を、そのまま印画として残す行為だ。化学的な現像過程を経る点は銀塩写真と共通しているが、被写体をカメラの前に「撮る」のではなく、光の下に「置く」という決定的な違いがある。19世紀から始まるこの表現は、現代の作家たちによって新たな意味を吹き込まれ続けている。
サカオ・コウイチの作品世界では、自然の中に埋もれた断片をすくい上げる試みが繰り返し行われてきた。庭で拾った落ち葉、通りで見つけたかけら、水路に沈殿する水の断面。成果として立ち現れるのは、記憶のかけらを光で定着させるという一貫した姿勢だ。フォトグラムという手法は、その姿勢と非常に親和性が高い。ものの存在を直接、光の痕跡へと変換する作業は、記憶のかけらを可視化するという関心と響き合う。
| 構成要素 | 落ち葉のみ | 落ち葉と型紙 | 多重露光 |
|---|---|---|---|
| 輪郭の明瞭さ | 葉の形が柔らかく出る | 型紙の形で構図を制御 | 層が重なり複雑な陰影 |
| 制作時間 | 比較的短い | 配置に手間がかかる | 露光回数で長くなる |
| 偶然性 | 重なりに左右される | 配置次第で調整可能 | 重なり方で大きく変わる |
| 表現の傾向 | 自然な揺らぎ | 幾何学的な秩序感 | 夢のような幻想性 |
フォトグラムという技法の原点
フォトグラムは、イギリスのウィリアム・フォックス・タルボットが1830年代に始めた実験に起源を持つ。光に敏感な紙の上に葉やレース、昆虫などを置いて露光し、その形をそのまま像として定着させた。彼はカロタイプなどの名でこの方法を呼び、植物の葉や網組織の転写を試みている。カメラを使わない写真が、当時の科学的観察と美的表現の双方に寄与していたことがわかる。
20世紀に入ると、ダダイズムやバウハウスの芸術家たちがフォトグラムを前衛表現として採用した。ラースロー・モホイ=ナジは「新しい視覚」を求めて透過光と幾何学的な物体を用いて純粋な形と光の関係を追求し、マン・レイは「レイヨグラフ」と名付けた作風で像の予測不可能性そのものを作品化した。日本でも表現の選択肢としてフォトグラムを選ぶ作家が存在感を増し、現代では地域プロジェクトに活用される事例も増えている。
落ち葉を「選ぶ」という行為
庭に出て落ち葉を集める作業は、制作の起点であると同時に作品世界を規定する行為でもある。桜の葉のように薄く透過するもの、楓のように大きく展開する形、銀杏のように扇のように広がる葉。個々の葉には、その季節と場所と木の歴史が刻まれている。色の濃淡、葉脈の走り方、虫食いの跡といった細部が、一つとして同じものはなく、光を通すときにどのような影を落とすかはその葉だけが持つ個性になる。
作家の作品では、庭という閉じた空間から材料を採取することが重視される。遠くに出かけて珍しい植物を探すのではなく、足元にある日常の植生に目を向けるという選択。それは、場所との関係性を見つめ直す姿勢と重なる。サカオ・コウイチのミドリノヘヤ・プロジェクトでは、部屋と庭を境界づける葉や枝の断片が繰り返し登場し、生活空間に浸透する緑の気配を可視化する試みが行われてきた。屋外の公共空間でのかけらを観察する姿勢は、別の観察記録の試みにも通じている。
型紙による構図の組み立て
落ち葉だけをそのまま配置するのではなく、型紙を併用することで構成に意図的な構造を持ち込むことができる。和紙をちぎった形、あるいは既製品のテンプレートを組み合わせる作業は、描くのではなく「刻む」あるいは「透かす」という、紙工芸の感覚に通じる。光を通さない部分は白く残り、光を通す部分だけが黒く沈む。その明暗のリズムを設計するのが、型紙を用いる工程の魅力だ。
配置を工夫することで、画面のどこに集中点を置くか、どこに余白を残すかを制御できる。葉の有機的な曲線と型紙の幾何学形状が対比されることで自然と人工の緊張感が画面に生まれる。意図して整えた構成の中に、葉の重なり方ひとつで結果が大きく変わるという不確定要素を敢えて残すこともある。偶然と意図の境界に立つことで、自然素材を扱う者だけが持ち得るこの微妙なさじ加減が、作品に独特の生命感を与えている。
日光に委ねる露光時間
フォトグラムにおける露光は、カメラでいうシャッターの開放時間に相当する。ただし、光源は太陽であり、季節や天候によって光の強さが刻一刻と変化する。夏の強い直射日光であれば数十秒から数分、木漏れ日のような柔らかな光であれば数十分から数時間かかることもある。光の量を正確に測ることはできないため、経験と勘を頼りに露光時間を判断する。
「待つ」という時間そのものが、制作の重要な一部になっている。同じ配置で行ったとしても、午前の光と午後の光では結果が異なる。作家にとってこれは、自然が刻む時間そのものを作品に封じ込める作業になっている。移ろいゆく時間を像として定着させるという、記憶と記録を結ぶ表現だ。
作品を通じた記憶の継承
こうして生まれたフォトグラムは、庭の記憶のかたちを目に見える形で残す媒体となる。葉の形は季節の証であり、葉脈の細部は種の記憶であり、配置の工夫は作家の思考の軌跡である。オタノカケラの新しい展開では、こうした光と影の断片を地域コミュニティとともに集め、共有する試みが続けられている。完成した写真は、それ自体が独立した作品であると同時に、制作過程を共有した人々にとっての共有財産ともなる。
制作を共に体験したい、地域でのワークショップを企画したい、作品についてより詳しく知りたいという場合は、お問い合わせから窓口へご連絡いただきたい。作家自身が、制作のポイントや必要となる材料、露光時間の目安などについて具体的に案内する体制を整えている。庭と光と紙が出会う瞬間を、あなた自身の眼で確かめてほしい。