新潟水の記憶プロジェクト 川の音の波形を絵の具で描く
新潟を流れる信濃川や阿賀野川、その支流に至るまで、この土地には大小の川が張り巡らされている。水は目に見えるかたちで風景を変えてきたが、同時に目には見えない音の風景もまた、そこに住まう人の中に静かに蓄積されてきた。坂尾浩一はそうした目に見えない記憶に着目し、川の音を採集して絵の具で描くという独自の表現を試みている。
聴いたものを直接キャンバスに定着させるのではなく、音を電気信号に変換し、その波形を色彩として再現する手法は、記憶という概念を視覚と聴覚の両側から捉え直す試みでもある。新潟という土地の風土と、そこで聞こえ続けてきた水の音とが、絵の具の層として重なっていく過程には、地域と芸術を結ぶ新しい関係性が宿っている。
音に宿る土地の気配
このプロジェクトが動き出した背景には、坂尾が新潟の地域と向き合ってきた長い経験がある。滞在制作やワークショップを重ねる中で、彼は水辺に立つと川の音に固有のリズムがあることを感じてきた。雨が多い季節、雪解けの水が増える春、水量が減る夏、それぞれが全く異なる表情を音の中に宿らせている。音を記録するという行為は、環境音を保存するだけの作業ではなく、土地の時間の断片を集める営みに近い。
採集には川の状態を多角的に捉える工夫が凝らされている。水面に張った振動を拾う装置や、川岸に置かれた集音器、時間帯を変えて繰り返し録る手法など、川のさまざまな位相を取り逃さない仕組みが整えられている。こうして集められた音源は、次の段階で波形データへと変換され、色彩との関係が検討される。
波形を色彩へ翻訳する
音の波形は時間軸上の振幅として現れるが、それを絵の具に置き換えるには別の判断が必要となる。坂尾は振幅の大きさや周波数の高低といった要素を、色の濃度や筆の重なりへと翻訳していく。一筆ごとに異なる色相をもち、画面のうえで音のもつ緩急が視覚的に立ち上がってくる。
この翻訳の過程には、機械的な対応関係だけが持ち込まれるわけではない。音を聴いた瞬間の感覚、採集したときの天候や空気の温度といった身体的な記憶が、色彩を選ぶ判断に加味される。科学的な記録と、作家の手の感覚が交差する点にこそ、この仕事の独自性がある。
地域に根ざす音の記憶
新潟は河川の恩恵とともに発展してきた土地であり、同時に水害と向き合ってきた歴史ももつ。川の音は人々にとって安らぎの象徴であると同時に、警戒を促す気配でもあった。そうした二面性を帯びた音が、絵の具の重なりとして残されるとき、それは個人の記憶の記録であると同時に、地域の集合的な記憶のかたちとしても立ち現れる。
プロジェクトは新潟市内だけでなく、阿賀野川流域や信濃川上流など複数の地点で音を採集してきた。各地点で異なる川の音は、そのままその土地固有の記憶となる。波形が実際に絵の具の層へと変換されていく手順は、波形変換の記録の中で詳しく綴られている。
絵の具が重ねる時間
完成した絵画は、固定された音のかたちを留める存在であると同時に、絵の具という物質が時間の経過とともに少しずつ表情を変えていく存在でもある。画面のうえで光が角度を変えれば色の印象も移ろい、湿度の変化は塗膜の質感に影響を与える。音という一瞬の出来事が、物質としての絵画の中でゆっくりと変容を続けている。その意味で、絵の具が描くものは過去の音の痕跡であると同時に、未来に向けて開かれた記録ともいえる。
このプロジェクトでは、音を聴いた現場で絵の具を置いていく作業が大切にされている。採集と表現が同時に進行する中で、聴くことと描くことが連続していく。耳を澄ませ、筆を置くという行為の間で、川の音は物質としての厚みを持った痕跡となって残されていく。
一緒に耳を澄ます時間
このプロジェクトは、一人の作家が完結させる制作ではなく、地域の人々と耳を澄ます時間を通じて広げられていく。新潟各地で開かれる滞在制作やワークショップは、参加者がそれぞれの場所での川の音と向き合い、その音に対応する色彩を発見する場となっている。聴こえ慣れた風景の中に潜む音の表情を、改めて感じ直す機会でもある。
絵の具で描かれた波形はやがて展示や記録を通じて多くの目に触れ、川の音という地域に根ざした記憶のかたちが新しいかたちで共有されていく。あなたが暮らす土地の川の音を思い浮かべながら、絵の具の重なりの中にそっと耳を傾けてみてほしい。
坂尾浩一は今後も新潟各地で川の音を聴き、その波形を絵の具の層へと重ねていく予定である。展示やワークショップの開催情報は公式サイトから随時発信されており、実際に音を聴き、描く現場に立ち会う機会も用意されている。興味を持たれた方は、ぜひ一度足を運び、耳を澄ませてほしい。