新潟水の記憶プロジェクト:水と布と藻がつくる記憶の記録

佐伯幸一は、土地の記憶と自然現象を結びつける表現を続け、国内外で作品を発表してきた作家である。新潟を舞台に展開する新潟水の記憶プロジェクトは、当地の水環境そのものを素材とし、時間とともに変化する現象を記録する試みで、観る者に地域の水文と歴史への問いを投げかける。

この取り組みの中核を成すのは、水中に沈められた布に自然に藻が付着していく過程である。川や池、潟などの水辺に張られた布は、放置されることで周囲の環境と一体化し、水流や光、微生物の働きを受けながら独自の色彩と質感を持つ素材へと変容してゆく。

新潟県は日本有数の水田地帯であり、河口域や低湿地には古くから人と水との密接な暮らしが刻まれてきた。佐伯はそうした土地に赴き、現地の水質や水流の特性に応じて素材を選び、その土地固有の記憶を布の表面にとどめようとしている。

本稿では、藻が付着していく様相がどのように記録され、作品化されていくのか、そしてこの試みが他の制作活動とどのような関係を持ちながら佐伯の全体的な実践に位置づけられるのかを見ていきたい。

水辺に布を沈めるということ

このプロジェクトの発想は、水そのものを「描く」のではなく、水に「描く」素材を置くという発想の転換から生まれている。通常の絵画や写真では、水は表現の対象として前景に置かれるが、ここでは水の中に布という受容体を沈めることで、水の側の作用が直接素材に痕跡を残すことになる。

佐伯は新潟県内の複数の水辺で、地元の協力者とともに調査と設置を行っている。布を浸す場所や期間は、その場所の水質、藻の種類、季節の変化などによって異なるため、一つとして同じ条件の作品が生まれることはない。その土地固有の時間が刻まれるという点が、この制作の核心にある。

布は単なる支持体ではなく、水と接する面積や繊維の密度によって、付着する藻の種類や量が変わる。受動的でありながら、環境の微小な差異に対して敏感に反応する素材として、布は選ばれている。

藻の付着という緩やかな時間

布に藻が付着する速度は日単位ではほとんど目に見えない。数週間から数か月といった単位で、繊維の隙間が緑や褐色の微生物の層に覆われていき、最終的には水底に沈んだ一枚の布が、その場所の生態系の一端を映し出す小さな画面となる。

この緩慢なプロセスには、人間が通常感じ取ることのない水中の時間が凝縮されている。佐伯が意図的にこの時間を引き伸ばすのは、日常の中で見過ごされがちな水域のリズムを可視化するためでもある。観る者は、完成した布を見ることで、自分には知ることのできなかった時間の層を逆算することになる。

季節による水温の変化や、降雨による水質の変動も、付着の過程に複雑な影響を及ぼす。佐伯はそうした外的条件の変化も記録に含めることで、単一の現象ではなく、変動し続ける環境そのものを作品に取り込もうとしている。

記録とアーカイブの方法

水から引き上げられた布は、写真や映像によってその状態が記録される。さらに、佐伯は藻の種類、付着の密度、水温、pH、採取地点の地理情報など、科学的・環境的なデータも合わせて収集している。視覚と数値の両面から現象を記述することで、作品は単なる美しい布の断片ではなく、場所の環境史としての性格を帯びる。

これらの記録は、後年の展示や研究のために整理され、佐伯のウェブ活動とも連動している。現地の協力者との対話や、布を設置する前後の風景写真なども含めた総合的なアーカイブが、プロジェクトの理解を深める土台となっている。

記録行為は、佐伯の制作の単なる補助ではなく、作品の一部として位置づけられている。布が水から上がる瞬間の状態、布の周囲の光、引き上げ時の音や手応えといった、五感に関わる記述も大切にされている。

新潟という土地の水文

新潟県は信濃川や阿賀野川が流れる広大な平野を抱え、湖沼や潟、用水路が網の目のように広がる土地柄である。古くからは水運や漁業、水田耕作を通じて人と水の関係が構築されてきており、水辺は単なる自然環境ではなく、地域文化の基盤でもあった。

佐伯が繰り返し新潟に通い続けるのは、この土地の水文が持つ複雑さと歴史の厚みにある。布を通じてその場所の水と時間を記録する行為は、地域の環境変化への静かな問いとしても機能している。近年では気候変動や開発によって、かつての水辺の姿が変わりつつあり、この記録行為の意義は増している。

水田地帯を流れる農業用水、河口に広がる潟、町のすぐ脇を流れる用水路など、新潟には多様な水辺のスケールが共存している。佐伯はそのような水環境のレイヤーを、布という共通の素材で接続し、一つの連続した風景として浮かび上がらせようとしている。

素材選びと地域との対話

このプロジェクトでは、布そのものの選択も重要な意味を持つ。素材によって繊維の粗密や吸水性が異なり、結果として付着する藻の様子も大きく変わる。佐伯は麻や綿、絹など、複数の素材を試行錯誤しながら、その土地の水質に合った布を選んでいる。

また、設置の段階では地元の人々との対話が欠かせない。その場所の昔の水辺の様子や、現在の水の使われ方、季節ごとの変化などを聞き取ることで、布を沈める位置や期間が決まっていく。作品は、地域の人々の記憶と協働して生成される、共同制作としての性格を持っている。

素材と場所と人が出会うことで初めて、その土地に固有の作品が生まれる。佐伯の制作は、この三つの要素の交差点に静かに位置している。

他のプロジェクトとの響き合い

この取り組みは、佐伯の他のプロジェクトと密接な関係を持つ。緑の部屋プロジェクトが屋内空間における植物と人の関係を問うものであれば、水辺での制作は屋外の水域における同様の問いの延長線上にある。また、町並み記憶プロジェクトが建築や街路の歴史を素材化するのに対し、こちらでは自然環境そのものが記録媒体となる。

加えて、おたのかけらのように、土地の断片を持ち帰り、再構成していく作業とも通底する思想がここにはある。水の中に沈めた布を引き上げる行為は、まさにその土地の「かけら」を採取し、未来へ届ける行為だと言える。

これらのプロジェクトを横断する問いは、場所に根ざした記憶がいかにして現代の表現行為に接続されうるか、という点にある。水、布、建築、植物といった異なる媒体を通じて、佐伯は土地の声を聴くための独自の方法を築き上げてきた。

観る者への体験のかたち

完成した布は、平面的な抽象表現のようにも、有機的な標本のようにも見える。布の表面には、水底で見えていたはずの微細な生態系がそのまま閉じ込められており、観る者はその布を前にして、自分が立っていた陸地とは異なる時間軸に足を踏み入れることになる。

佐伯は展示において、布そのものの展示に加え、設置場所の写真や地域の地図、聞き取り調査の内容などを合わせて提示することで、作品の背景にある文脈を丁寧に差し出す。観る者が単なる視覚的な鑑賞を超えて、その場所の水や土地について思いをはせるための装置が、そこには組み込まれている。

展示空間では、観る者が自分の歩みで布の間を移動しながら、それぞれの土地の痕跡を一つひとつ読み取っていくような構成が採られることもある。複数の土地で採取された布が一堂に会することで、新潟という地域の水環境の重層性が浮かび上がる。

この取り組みに向き合うための視点

  • 水辺に出かけるときは、川岸や池の水面に浮かぶ藻や水草の群落に注意を向けてみる
  • 布を数日間水に浸けたとき、どのように色や質感が変わっていくか、簡単な実験で確かめてみる
  • 地域の古い地図や文献を読み、その土地の水路がどのように変わってきたか調べてみる
  • 展示会場では、布の繊維の拡大写真や設置現場の風景写真に注目し、場所ごとの違いを読み取る
  • 自分の暮らす地域でも、水環境と人間の暮らしがどう関わってきたか話し合ってみる
  • 長期にわたって記録される作品には、即時的な情報には表れない時間の蓄積があることを意識する
  • 作品の背景にある協力者の存在や、土地の物語に関心を持って展示を眺めてみる

佐伯の制作は、sakao-lifeworks.comで公開されている活動記録を通じて、より深く知ることができる。サイトには展示やワークショップの最新情報も掲載されており、実際に新潟の水辺を訪れる前から、プロジェクトの文脈に触れておくことで、作品に対する理解がより豊かなものとなるだろう。直接現地を巡る機会があれば、布が水から引き上げられた後の展示だけでなく、設置されている現場の様子にも足を延ばしてみてほしい。